痩せた月

こんにちは世界

《死》を選ぶのは悲しいこと?

こんにちは。れです😇

ある出来事が起きたらブログを書くと決めているのですが、今回は思いの外早く起きてしまったので、何を書くか考えていたところです。

そこで、いつも心に思っていることを書きます。

それは、「人生の選択として《死》を選ぶのは悲しいことか?」ということです。

稚拙な文章ですが、読んでいただければ幸いです。



 死という選択を選ぶのはどういう時なのでしょうか?


 人生にはいろんな選択があると思います。「何を食べようかな」「何時に寝ようかな」などのような些細な事。「どこの学校にいこう」「どこに就職しよう」などのような大事な事。例を挙げればキリがありません。人生は選択の連続です。

 時に、選択出来ないことがあります。あなたもそんな経験がありませんか? レストランで2つ以上食べたいメニューがあるのに、1つしか選べない時に悩みませんか? 夜中まで遊びたいのに朝早く起きなきゃいけなくて、どうしようか悩んだりした事はありませんか? 勉強はしたくないけど、勉強しないと追試になってしまうような状況で悩んだりした事はありませんか?

 上記の3つの例、いわば3つの葛藤はそれぞれ区別されていて、名前がつけられています。順番に「接近─接近型の葛藤」「接近─回避型の葛藤」「回避─回避型の葛藤」です。

 もっと分かりやすく言うと、それぞれ「〜したいけど、〜もしたい!」「〜したいけど、したら〜してしまう!」「〜したくないけど、〜もしたくない!」という葛藤です。

 これらの葛藤を解決する方法は、人それぞれだと思います。接近─接近型の例で言えば、諦めて片方を選ぶ人や、うまく両方を出来る方法を考え出す解決法を考え出す人など、様々です。

 しかし、その葛藤の内容が、人生を左右するような、重大なことだったら、容易に解決する事が出来るでしょうか?

 レストランでメニューを選ぶ感覚で学校を選ぶ事は出来ません。就職も同様にです。(少なくとも出来る人はいるかもしれないけど、今は考慮しません)

 悩んでも解決法が思い浮かばず、追い込まれると更に頭が回らなくなり、時間は無くなっていく。

 思考停止に近い状況になると、目の前にある事がどうしても解決出来ないような、高く厚い壁になる事があります。たとえ簡単そうに見える問題でも、当人にとってはそう見える、ということもあります。

 9月1日に18才以下の自殺者が1番多い事は知っているでしょうか。その日は夏休みが終わって登校する日です。

 彼らは、恐らく大きな葛藤に見舞われてのだろうと思います。学校に行きたくない。そんな思いが募りに募る。どうしたらいいか分からず、自殺する。

 ……僕の都合のいい解釈かもしれませんが、学校にいくよりも、死を選ぶ方がメリットがあったのでしょう。思い浮かんだ他のどんな方法よりも、自殺という選択肢は魅力的だったのかもしれません。もう二度と葛藤し、悩む必要はありませんから。

 「こんなの、根性がたるんでる」「くだらない。学校に行け」という意見もあると思いますが、みんな同じ精神強度を持って生きているわけではありません。鋼鉄のような強靭な心の持ち主もいれば、粘土の様に柔軟な心の持ち主、雪の結晶の様に壊れやすい心の持ち主もいます。


 死は救いなんて、哲学じみた事を言うつもりはないけれど、死は手段であると言う事を知ってもらいたいです。

 もし、親しい友達や家族に自殺者がいる方にとっては、この記事が紙であったら焚書されるような事を書いていると思うかもしれません。

 一方で死を望む人がいると言うのも事実です──自殺者が全員そうであったと言うつもりはないけれど──死は手段として、身の回りに佇んでいます。

 しかし、死を選ぶのは、あくまで最終手段です。僕は、学校に行きたくないと思うような環境の改善を第1に考えています。学校に限らず、一部社会の改善を望んでいます。

心が弱い人に優しい社会になって欲しいですね。



※決して自殺を助長しているわけではありません。